令和元年5月20日(月)文化庁より「北前船寄港地」として加茂が日本遺産追加認定を受けました
祝 日本遺産追加認定!
北前船寄港地として鶴岡市加茂地区登録決定!
令和元年5月20日(月)文化庁より「北前船寄港地」として加茂が日本遺産追加認定を受けました。日本遺産の北前船寄港地として認定されたのが山形県内で2つ目。鶴岡市の日本遺産としては出羽三山・サムライシルクに次いで3つ目の日本遺産となりました。
昨年の8月29日にANA総合研究所の方々が加茂にお見えになり、最後の追加認定になるだろう寄港地の選定の視察にお越しになりました。結果は来年の春にということで、待ち遠しく待っておりました。認定の連絡を受け、是非とも加茂で記者会見を行いたいという鶴岡市さんの要望で、北前船で運ばれた釣鐘がある浄禅寺(西方信夫住職)で行われ、北前船で加茂を訪れた船員たちが作ったといわれる「泊町大黒舞」を保存会(代表冨塚壽一氏)の方々より披露していただき、賑やかな認定報告会となりました。
今後も情報を皆様に配信いたします。加茂ホームページにもアップ中!6月の加茂広報でもまたお知らせいたします。
加茂コミセン事務局
◆広報加茂(令和元年6月15日付け、加茂地区自治振興会)より
加茂が日本遺産に!! 北前船寄港地として追加認定
加茂が5月20日に文化庁の日本遺産「北前船寄港地」に追加認定され、今後、市は町並みの保全や情報発信、広域観光ルートづくりなどに取り組み観光振興・交流人口の拡大に役立てる計画だ。
今回の認定は、酒田市を代表とする全国15都道府県の38市町村で構成する日本遺産「北前船寄港地」が、日本遺産のストーリー「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落」の内容変更として文化庁に追加申請が認められたもの。
追加認定されたのは鶴岡市加茂のほか善宝寺の五百羅漢堂、新潟県出雲崎町、石川県金沢市、兵庫県姫路市、たつの市、香川県多度津市、広島県竹原市の6県7市町。
加茂は、北前船で栄えた往時の町割りがそのまま残っていることや、加茂港周辺の町並み、船主の家屋と蔵が現存し、北前船で財をなした商人が寄進した寺院が残っていることなどの構成文化遺産が評価された。
加茂港は、古くから荒波や強風を避けるための寄港地「荒波かかり潤」で、天然の船溜まり場として廻船問屋、付船問屋、つくり酒屋がそれぞれ10件以上あり、明治時代初めまで栄え、多い年には約1100隻の船が出入りしていたが、鉄道の発達で明治20年以降急速に衰退し、漁港へと変貌した。
加茂の町並み保全や情報発信、先に指定を受けている出羽三山と松ヶ岡などとの広域観光ルート開発に取り組み、観光振興や交流人口拡大に繋げていくことにしているほか、令和元年9月で開かれる「第27回北前船寄港地フォーラムin庄内」でアピールしていく。
◆広報加茂(令和元年7月15日付け、加茂地区自治振興会)より
加茂泊町大黒舞保存会が泊町以外からも会員募り公演
加茂泊町に古くから伝わる加茂泊町大黒舞が6月27日に開催される鶴岡市と北海道・木古内町との姉妹都市盟約30周年記念式典での公演を前に、新たなメンバーを加え、加茂コミセンで稽古に励んでいる。
加茂泊町大黒舞は、招福の舞として海上安全、商売繁盛、豊漁、子孫繁栄の舞で、貞永元年(1232年)に北前船の乗組員によって伝わったといわれ、加茂で古くから栄えた泊町で伝承されてきたが、海運業や漁業の衰退により昭和30年(1955年)ごろを境に舞手の減少で自然消滅していたが、昭和59年8月に加茂泊町大黒舞保存会を結成し復活。地元のみならず鶴岡市や県など数多くのフェスティバルに公演してきた。
近年メンバーの高齢化で活動が縮小していたが、今回の盟約30周年記念式典での公演依頼を機に、これまで泊町に限ったメンバーを加茂全体から募集し、約10人の若手と共に本番を目指し、加茂コミセンで練習に汗を流している。
◆広報加茂(令和元年8月15日付け、加茂地区自治振興会)より
泊町大黒舞を披露 盟約30周年記念で公演
加茂泊町大黒舞保存会(冨塚寿一会長)が、北海道木古内町と鶴岡市の姉妹都市盟約30周年記念祝賀会で、鶴岡市の芸能を代表して泊町大黒舞を披露した。
今回の公演は、盟約を記念して市の依頼を受け実現したもので、保存会では6月から会員を泊町以外からも募り、本番に向けて特訓しました。
当日は謠、舞、総勢19人が揃いの法被に身をまとい出演。10数曲伝わる謠の番数のなから1番、5番、9番の3つを披露。最後は大黒様と恵比寿様がパフォーマンスで各テーブルを回り、喝采を浴び、加茂に伝わる芸能をPRした。
◆広報加茂(令和元年9月15日付け、加茂地区自治振興会)より
看板設置と日和山を整備 〜北前船寄港地日本遺産追加認定を機に〜
令和元年5月20日に加茂が日本遺産「北前船寄港地」に追加認定されたのを受け、加茂自治振興会では認定を祝う看板を加茂港T字路脇の秋野友樹さん宅の外塀に設置したほか、北前船の航行に重要な役割を果たした日和山の草刈りを実施して整備した。
看板は、タテ1m、ヨコ4mの大きさで「祝 日本遺産認定」「北前船寄港地船主集落 加茂」と写真入りのフルカラーでデザインされ、7月31日から設置され、ドライバーや通行人に日本遺産追加認定をアピールしている。
また、日和山は全国各地にあり、江戸時代に航路が開かれた時に国内輸送にあたった廻船の船乗りらが荒天と逆風を避け、順風を捉えるために日和見し、船を出すかどうかを決めたり、出船入船を見たりした場所である。
加茂の日和山は旧加茂小学校裏山の30mほどの小高い山で、江戸時代は西廻り航路で栄えた加茂湊の大事な場所で、今回の日本遺産追加認定に際しても重要な認定要因だった。
動力船の発達に伴い、20世紀前半まで利用され、近年は旧加茂小学校の第一次避難場所として整備されていたが、小学校の統廃合により草木が伸び放題となっていた。今回の追加認定を受け、加茂日和山についても整備することになり、8月25日の当日は加茂各町内会をはじめ住民会からも参加し、約30人が草刈り機やノコギリ、カマなどで加茂港が見渡せるまで綺麗に整備しました。
●加茂のむかしばなし(他サイトからの情報より)
加茂港は天然の良港として古くから栄えた港で、延慶2年(1319年)に成立した夫木和歌抄の古歌にも、歌枕として“かほのみなと”があります。この“かほのみなと”は加茂の港を指しており、相当古くから港として栄えていたことがわかります。
加茂の地名は京都の加茂に因むというのが一般的な説ですが、他には一時寄港の“かかり澗”から転じた説もあります。加茂には清水が数箇所沸いており、その一つの名称が「軍艦水」と呼ばれ、加茂港に軍艦が寄港したさいここから水を汲んで積んだと伝えられており、“かかり澗”説も頷けます。
夫木和歌抄巻第25に載っている和歌(11,898番)は
君見ねば かほのみなとに うちはへて
恋しき波の たたぬ日ぞなし
(歌の大意:いつもあなたのことを恋しいと思っている)